2014年

2014年12月29日その2

打合せの合間に、ニューヨーク市内に少し出かけました。
ぜひ行ってみたかったところは、セントラルパークにあるストロベリー・フィールズです。ビートルズのメンバーであったジョン・レノンは、ニューヨークのダコタハウスに住んでいましたが、1980年12月8日、このダコタハウスの入り口で銃で撃たれ、命を落とします。彼の奥さんであったオノ・ヨーコらに よって作られた記念碑がダコタハウスから通りを跨いだセントラルパーク内にあります。ストロベリーフィールズという名前はジョン・レノンの故郷であるイギリスのリバプールにある場所から取っており、ビートルズの歌にもなっています。私もその場所に2年前に訪れたことがあります。

折角なので、有名なタイムズ・スクエアとロックフェラー・センターにも行ってみました。どちらも人が多くて、歩くのも大変でした。ロックフェラー・センターのクリスマス・ツリーは思ったよりも普通でした。夜に行けば、きれいだったのかも知れません。

リバプールのストロベリー・フィールズの前で。ビートルズの曲にStrawberry fields foreverというのがあります。


ニューヨークのストロベリーフィールズのモニュメント。ジョン・レノンのソロの代表曲
IMAGINEの文字が真ん中に刻んであります。

田さんと一緒にタイムズ・スクエアで。日本企業の広告は減っていて、中国と韓国のものが目立ちました。


よく日本でもクリスマス前に紹介される有名なロックフェラー・センターのクリスマスツリー。意外と普通でした。


2014年12月29日

ニューヨークにやってきました。でも、この文章は日本への帰国便の待ち時間の間に書いています。ロンドンに行ったときのように、毎日を書こうと思っていましたが、ちょっと忙しくてできませんでした。


12月15日のつぶやきで書きましたとおり、今回の目的は今年3月に研究室を離れてアメリカで働いている田さんと研究の打合せをするためです。ニューヨークを選んだのは、彼が住んでいるファーミントンから一番近い都市で、かつ日本からの直行便があるからです。ホテルの部屋に即席の打合せテーブルを作り、パソコン画面を共有して作業をしました。ロンドンの旅行記で出張中には外部ディスプレイを持参することを書きましたが、今回はこれを画面共有に使いました。マウスも2つ持っていったので、作業がはかどりました。


全く偶然だったのですが、理学部総務企画係の今冨さんもニューヨークに旅行に来ていたので、中華街で昼食を一緒に食べました。彼は田さんの出張の書類を持ってきて、サインをもらっていました。折角のプライベート旅行なのに、仕事も持ち込ませてしまって、申し訳なく思いました。
田さんとは、これからも研究のために連絡を取り合うことを約束して別れました。今冨さんは、新年をニューヨークで迎えるそうです。

2014年12月15日

寒波襲来で、最近は寒い日が続いています。自転車通勤も少し辛いですが、雨や雪の降らない日は頑張って続けています。
山口市は、大内氏が隆盛だったころに、日本で始めてクリスマスミサが行なわれたところだそうで、「12月、山口市はクリスマス市になる」ということで、山口大学が昔あった亀山公園一帯を主会場として、色んなイベントが組まれています。

私の研究室の廊下にも恒例のクリスマスツリーが置かれました。今年のツリーは少し手が込んでいて、パソコン部品のCPUとかメモリーボードとかが飾られていました。ちょうどパソコン廃棄処分の処理をしたので、学生たちがその部品を使ったようで、ツリーの緑色に溶け込んでいて、なかなか面白いと思いました。さらに、メモリー基盤を使って、写真
のような飾りも作っていました。遠くからみると、本物と見分けがつきません。若い人の感性はすごいですね。

8月20日のつぶやきでは今年はもう海外に行く予定はないと書きましたが、今月の26日から昨年に博士を取って私の研究室を離れた田さんと研究打合せをするため、ニューヨークに行ってきます。あちらに到着したときはクリスマスは過ぎていますが、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーは1月始めまで置いてあるようで、これを見るのが楽しみです。

 

2014年12月1日

先週の土曜日に親戚の法事があったので、下関に行ってきました。途中、『高杉晋作決起150年記念特別展「晋作決起―長州復権への道―」』が開催されていたので、下関市立東行記念館に立ち寄りました。今からちょうど150年前の1864年、蛤御門の変で敗北し幕府への従順路線を取る萩政府に対抗するため、晋作は、奇兵隊を率いて下関の功山寺で決起します。

東行庵は、高杉晋作の霊位礼拝堂として明治17年に創建されたものです。境内に高杉晋作の辞世の句の石碑を見つけました(写真)。この句の前半部分は高杉晋作が、後半部分は野村望東尼が詠んだものです。野村望東尼は、晋作が博多に潜伏しているときに彼をかくまっていました。そのことを責められて玄界灘の姫島に流されますが、晋作たちに救い出され、晋作を下関で看病したのちに、防府で亡くなります。望東尼が防府にいたときに、楫取素彦・美和子(4月28日のつぶやき参照)が親身に世話をしたと言われています。野村望東尼の墓は楫取夫妻の近くに建てられています。

 

高杉晋作の墓の横に福田侠平の墓がありました。福田侠平は、山口市後河原の出身で、山県有朋とともに奇兵隊の軍監を務めた人物です。後河原は山口講堂があったところで、しかも彼は1829年の生まれですから、タイミング的に山口講堂か山口講習堂で学んだのでは、と思い、少し調べてみましたが、そのような事実は見つかりませんでした。彼の遺髪を納めた墓は山口市大内にあり、位牌がその近くの興隆寺の中に置いてあります。興隆寺は西国一の大名であった大内氏の氏寺でしたので、大内文化と幕末の両方の歴史物が両方あるスポットはとても珍しいのではないでしょうか。

 

2014年11月25日

 

11月20,21日と石垣島に行ってきました。山口短期大学の呉先生との言語系統分類の共同研究の成果を発表するためです。昨年の細胞シミュレーションの研究会に続き、石垣島は2回目です。わざわざこんな遠くで研究会をやらなくてもいいように思われるかもしれませんが、石垣空港には全国の主要な空港からのフライトがありますので、実は集まりやすく、便利なところです。なにより、参加者全員が職場を離れていますので、妨げになるものがなく、冬でも気候がよくて、ディスカッションに没頭できます。
行きの飛行機では、九州上空を飛んでいるときは曇っていましたが、奄美大島あたりから晴れてきて、与論島や沖縄本島もよく見えました。写真は、石垣島に近づいたときのものです。着陸時には、機体の影が地上に映っていて面白い光景でした。動画で撮りましたので、ご覧ください。最近、飛行機の離着陸時にも電子機器が使えるようになったので、こういう映像が取れるようになりました。
研究会では、座長もやりました。久しぶりだったので、若干不安でしたが、割当てられた3件の発表を進行をなんとか終えることができました。研究会の内容も充実していて、よい刺激を受けることができました。
1泊しかしなかったので、観光はできませんでしたが、会場の近くに730記念碑がありました。沖縄がアメリカから返還されて6年後の1978年7月30日に一斉に車線が右から左に変更されたことを記念して建てられたものです。わずか8時間の間にこれをやり遂げたことは驚きです。

 

 

 

2014年11月4日

11月1日に新潟大学医学部に講演に行ってきました。今年の3月に引き続いて、細胞シミュレーションの講演を依頼されたためです。東京まで飛行機で行き、上越新幹線で新潟に向かいました。3月のときは新幹線から雪が見えましたが、今回は暖かく、山口と気温が殆ど変りませんでした。前回よりも参加者も多く、熱心な質問も受け、気持ちよく話をすることができました。このような機会を与えてくださった、山本先生、吉田先生、ありがとうございました。
講演終了後に新潟市内の古町にあるお店で夕食をご一緒させて頂きました。新潟は誰もが知る米どころで、とても沢山の種類のお酒があります。今回のお店は、女将さんセレクションの珍しいお酒が置いてあり、新潟の人でも知らないお酒もありましたが、どのお酒も大変おいしく、酒どころの底力を実感しました。山口の獺祭もメニューにあり、いちばん高い値段が付いていました。

翌日の2日の帰路の途中に長岡市に寄りました。長岡は戊辰戦争で会津や庄内と並んで激しい戦闘があったところです。そのとき長岡藩の指揮をとったのが河井継之助で、一度訪れてみたいと思っていました。河井継之助の記念館ではタイミング良く観光ボランティアガイドの説明を受けることができました。長岡市内には関係する歴史スポットが残されており、敵対関係にあった長岡藩からみた幕末史を知ることができました。
すぐ近くに山本五十六記念館と誕生の地がありましたので、そこの見学もしました。米国留学の経験もある山本五十六(やまもといそろく)は開戦に反対したものの、連合艦隊司令長官として日本海軍を指揮し、米軍機に撃墜されて命を落とします。この生き様を見て、改めて世界を知ることの重要さを教えられました。

 



2014年10月20日

昨日の日曜日、理学部恒例のイベントである「サイエンスワールド2014」が大学会館や学生食堂きららを会場に行なわれました。このイベントは1999年に始まり、今年で16回目になります。今回の参加者も1,000名を越え、すっかり地域に定着したイベントとなっており、多くの親子連れの姿が見えました。
今年の公開市民講座は、慶応義塾大学准教授の大木聖子さんが「いつか必ず起こる大地震から命を守るために」というタイトルで話をされました。私も被災情報システムの研究をしておりますが、地震学者の視点で話された内容は、情報科学の立場から研究をしている私にとってとても参考になるものでした。
学生達の展示は16件あり、全てのブースを回りましたが、みんな参加者の皆さんに一生懸命説明をしていました。理系学生の彼らにとって、コミュニケーション能力を磨くとても良い機会になったと思います。
近隣の高等学校等の参加を得て行なわれる、サイエンスセッションU-18には、今年は6校の参加がありました。私は審査員を勉めましたが、どれも大学顔負けの発表内容で驚きましたが、最優秀賞は島根県立浜田高等学校ので「ハッチョウトンボの生態調査Ⅱ~秘めたる力、生き残りを懸けた戦略」でした。
パンフレットに載せた私の挨拶文のリンクを付けています。ちょっと力を入れて書いた文章ですので、よろしければご覧ください。

 


リンク
挨拶文:パンフレットに載せた挨拶文「遊び方の勉強」

2014年10月14日

10月12日の日曜日に、湯田温泉酒まつりがありました。私は昨年に引き続いて、町内会の人たちと参加しました。山口県内の18の酒蔵が試飲の酒を提供 し、参加者はおちょこを買って、飲み回るというものです。昨年は、井上公園だけが会場でしたが、今年は湯田の街にまで拡大していました。山口のお酒は最近 流行っていて、酒米が足らないほどということですので、多くの参加者で賑わっていました。
大学関係者の姿もありました。理学部教員では、地球科学の先生方2名、数理科学の先生1名、それに前理学部長の田中副学長も参加されていました。他の学部の人もちらほら見ましたが、酒まつりへの理学部関係者の参加率はダントツのようです。
私たちの町内会グループは、レジャー用の机・椅子を持ち込んで万全の体制でお酒を楽しんでいたところに、人文学部事務の福谷さんが近くのベンチにやってきました。折角なので、我々の記念撮影に入ってもらいました。
来年もぜひ参加しようと思います。

 

2014年10月6日

先週は2つのイベントがありました。
山口大学生活協同組合が運営している第1食堂「ボーノ」の拡張工事が終わり、9月30日にオープニングセレモニーがありました。私は理学部長としてこの式典に参列しましたが、前に3年間ほど生協の理事長をしておりましたので、今回の拡張・リニューアルオープンには感慨深いものがあります。岡学長、宮田学生支援センター長に並んで、現在の生協理事長である物理・情報科学科の野崎先生がテープカットをされました。ヤマミィも登場して、なかなか盛り上がったセレモニーでした。

10月4日の土曜日には、山口大学ホームカミングデーがありました。このイベントは昨年から始まり、今年で2回目になります。午後から学部紹介展示、スリッパ卓球大会、学生達のステージなどを見て回ったあと、一番教室で行なわれた基幹シンポジウムに参加しました。田中理事の200周年の歩みの講演までは全部聞けたのですが、学部企画の理学部ツアーの情報科学分野の説明担当でしたので、途中までしか参加できなかったのが残念でした。
理学部ツアーで説明を始めたときに「松野さん」と声をかけてこられる人がいました。前任校の大島商船高専で隣の研究室だった物理の先生で、20年ぶりにお会いしました。同窓生の10名ぐらいのグループで見学に来られていて、夜は湯田温泉で懇親会をするといわれていました。ホームカミングデーがこのような卒業生の繋がりのきっかけともなっているようで嬉しく思いました。
理学部ツアーには、20名ぐらいの参加者がありました。私は、学生の研究室を案内しましたが、みなさん、大学の奥底部分の現状(惨状?)を興味を持って見ておられました。

 

 

 

ホームカミングデーHPはこちら

2014年9月29日

 

2014年9月9日

9月になりました。先月8月は雨の日が多く、今月からは朝夕は涼しくなってきて、ちょっと物足りない夏でしたね。今回はまた幕末歴史物の話にお付き合いください。

長州藩には私塾を含めて多くの"学校"があり、最も有名なのは萩の松下村塾ですが、その松下村塾と双璧をなす私塾といってよい「清狂草堂」の話から始めます。

清狂草堂は、僧月性によってひらかれた私塾で、今の柳井市大畠にありました。幕末に活躍した志士たちには松下村塾出身の人たちが目立ちますが、この清狂草堂からも重要な人物が多く輩出されました。高杉晋作の後に奇兵隊総督となったものの幕府のスパイと怪しまれて処刑された赤根武人、仙台で斬殺され戊辰戦争のきっかけとなった世良修蔵などです。
その清狂草堂で学んだ一人に、大楽源太郎がいます。大楽は、萩の出身ですが、幼いときに今の防府市台道に移り住みました。彼は、高杉晋作や久坂玄瑞とともに尊皇攘夷活動を行ない、今からちょうど150年前の1864年の蛤御門の変にも出陣しています。
大楽は1866年に台道に「西山塾(せいざんじゅく)」を開きました。後に内閣総理大臣になる寺内正毅もこの西山塾に学んでいます。ちなみに寺内は、山口大学のある平川地区で生まれ、私の住んでいる宮野地区の寺内家に養子として入っており、彼が開設した寺内文庫の蔵書は多く山口県立大学図書館に所蔵されており、建物も残っています。

防府市台道の西隣の地区が山口市鋳銭司です。長州藩が幕府を破った四境戦争や、戊辰戦争で指揮をとった大村益次郎はこの鋳銭司の出身です。大楽と大村の間には不思議な関係があります。まず、この2人はともに若い頃、今の大分県日田市の儒学者、広瀬淡窓のところで学んでいます。
大村は、武家社会から、庶民も参加する新しい軍体制への転換を進めましたが、これをよく思わない者に、京都で切られ重傷を負い、後に亡くなりました。その大村を切ったのが神代直人で、彼は大楽の西山塾の出身です。大村もまさか、隣村の台道の者に襲われて、命を落とすことになるとは思わなかったでしょう。
さらにこのような話もあります。大村益次郎の遺体は大阪から故郷の鋳銭司へと運ばれますが、そのときに遺体に寄り添っていた者の一人が、寺内正毅です。寺内も西山塾の出身ですから、大村は西山塾の出身者に切られ、さらに、彼が故郷に戻るときも西山塾の出身者に付き添われていることになります。当時の幕末の長州藩士の間にあった、複雑な人間関係が見え隠れしている気がします。

大楽源太郎は、自分の弟子が長州藩の要人であった大村益次郎を切ったことを責められ、大分県の姫島に潜伏するなどして逃走しますが、最終的に新政府によって斬殺されてしまいます。この大楽源太郎、それに先に述べた世良修蔵、赤根武人など、清狂草堂の出身者は、華々しい活躍をした松下村塾の出身者に比べ、不遇な結末を迎えている人が多いですね。
山口大学の創基200周年記念のキャッチフレーズは『「志」つなぎ伝える二百年』です。光のあたる場所で活躍した志士はもちろんのこと、陰で支えた志士たちの「志」もつなぎ伝えて行く責任と使命が、江戸時代末期から200年の歴史をもつ山口大学にはあると思います。

 

2014年8月25日

先週の土曜日の8月23日は、学部公開説明会がありました。8月9日にオープンキャンパスが予定されていたのですが、台風11号の接近により中止になったため、急遽開催が計画されました。
理学部では、全体概要の説明のあと、数理、物理、情報、化学、生物、地学の6分野の実験室や演習室を廻って頂く「ミニツアー」を企画しました。各分野10分程度という短い時間でしたが、担当の先生方には要領よく説明をして頂き、スケジュール通りに会を終えることができました。
急に開催が決まりましたので、当日にならないと参加者数が分らず、ミニツアーがうまく行くか不安でしたが、参加者も約70名を得ることができ、3班に分けてスムーズに見学を実施することができました。説明をして頂いた先生方、学務係の担当者の方々、ありがとうございました。

 


オープンキャンパスの終了後も研究室に留まり、クイズの問題作成をしました。この日の夕方から、私の町内会で盆踊り大会があるのですが、その催しの一つであるウルトラクイズの問題担当になっているためです。

今年のお題目は、ブラジルで行なわれた「ワールドカップサッカー」と「花燃ゆ」にちなんだ問題です。どちらも私の「得意分野」ですので、ちょっと懲りすぎてしまい、「今年の問題は難しい」と、若干不評でした。来年は、肩の力を抜いて問題を作ろうと思います。
もう一つの担当は、「綿菓子づくり」です。町内会で私が一番作るのがうまかったのですが、昨年度と一昨年度は夏祭りに出ていなかったため腕が鈍り、他の人にトップの座を奪われてしまいました。それでも、頑張って大きな綿菓子を作ったので、子ども達には喜んでもらえたと思います。



2014年8月20日

2014年8月20日

窓からの朝日(大西洋から南米大陸へ入った時)

8月9日から1週間,ブラジルに行ってきました.サンパウロ大学に留学している息子に会うためです.2週間前に行ったばかりのヒースロー空港に11時間かけて舞い戻り,3時間の待ち時間の後に,さらに11時間かけてサンパウロに到着しました.さすがに疲れました.

サンパウロはスリが多く,強盗も出るというので,なるべく現地の日系人に見せかけるような服装にしました.この効果があったのか,被害にあうことはありませんでしたが,怪しい人も結構見かけました.なにも考えずに出歩ける,日本の治安の良さを痛感しました.

息子に連れられてサンパウロ大学にも行きました.教育学部で集会をやっていました.授業料の有料化反対ということでしたが,授業が行なわれないので,帰国する日本人学生もいるということでした.早く安定した学生生活が送れるようにして欲しいものです.

もう一つの目的は,家内の親戚の家に行くことです.サンパウロの中心部近くには,リベルダージという日本人街もあり,多くの日系人の姿がありました.ブラジル料理を頂きながら,色んな話をしましたが,そこの娘さんがワールドカップのときに,NHKの取材チームに同行して御世話をしたという話が印象的でした.

ブラジルの公用語はポルトガル語ですが,ホテルの人も含めて殆どの人は英語が話せず,町の看板やサインにもポルトガル語しか書いておらず,想定外でした.今回はあちらで生活している息子がいたのでなんとかなりましたが,これから外国に行くときは気をつけて準備しておかないといけないと思いました.

ここ1ヶ月の間に2回海外にでかけましたが,今年はもう予定がありません.あとは,日本でしっかり仕事します.

 

2014年8月8日

山口市では,毎年8月6,7日にやまぐち七夕ちょうちんまつりが行なわれます.自転車で通勤するときは,アーケード街を通りますが,ちょうど昨日,ちょうちんまつりをやっていました.
アーケードが少し切れる手前で,ビートルズの曲が聞こえてきました.私は,中学校のときにかなりビートルズに凝っていて,殆どの曲を知っています.ビートルズの最後のアルバム「アビーロード」のジャケット写真の有名な横断歩道にも行ったことがあります.
自転車を止めて,最後まで演奏を聴きました.ちょうど,大学の職員の人がいましたので,話を聞いてみると,ドラマーの人もうちの大学職員と言うことでした.本学にはビートルズ研究で有名な福屋先生もおられますし,大学に意外と熱心な人が多いことに驚きました.いつか,皆で集まって,ビートルズ談義をしたいものです.

 

 



2014年8月4日

昨日の8月3日に湯田温泉のホテルで山口高校の同窓会がありました。この開催運営は、3つの卒業期が当番で行う事になっていて、今年の当番期は88期、103期、112期でした。もちろん、中心的な役割をするのは88期(昭和57年卒業)で、ちょうど50歳になる歳になります。私は84期卒業なので、4年前に済ませました。記念誌に載せる広告を取りに行く係で、あちこちの会社や事業所をお願いに廻ったのを覚えています。
今年の84期の参加は10名足らずと少なくて、少し寂しかったですが、久しぶりに会う同級生もいて、楽しい時間を過ごしました。高校のときに習った恩師も多く参加されていて、日頃は教員をやっている私も生徒に戻った時間でした。
私と同じ学科の野崎先生は当番期の88期で、山高グッズの販売に忙しそうでした。他に、山大の職員の姿もありましたし、学生の参加もありました。山大には山高の卒業生が多く務めていますから、来年はもっと多く参加して皆で楽しみたいと思いました。
山高卒業生の88期、103期、112期のみなさん、お疲れ様でした。

 

2014年7月27日

イギリス滞在も今日までです。帰国便まで時間があったので、ロンドン市内に出かけました。テムズ川の川岸にあるロンドンアイに乗った後、徒歩でシャーロックホームズのパブに行き、食事を取りました。それからさらに徒歩でユニバーシティカレッジロンドンに行き、森先生に長州ファイブの記念碑を案内しました。長いこと歩いたので、少々疲れましたが、ロンドンの夏は日本ほど暑くなく、ロンドンの街並みを気持ちよく感じることができました。

海外出張は大学を長く空けますので、色んな人に迷惑をかけてしまいますが、私にとっては論文を読んだり書類を書いたりできる、貴重な仕事時間です。時差ボケに弱く、大体夜中の2時頃起きてしまうので、どうせならということで、昼間の日本とネットを使って連絡を取りながら、夜通し仕事をするのが私の海外出張パターンです。

帰国して翌日から仕事です。次の私の課題は早く時差ぼけから回復することです。この旅行記にお付き合い頂き、ありがとうございました。

2014年7月26日

午前中にサレー大学に移動し、昼食を取ったあと、森先生とキールゼック教授と研究打合せをしました。まず私から大腸菌の生育のシミュレーション結果について報告し、そのあと実験による検証方法について話し合いました。途中から、いまアメリカにいる田さん(4月10日のつぶやき参照)もSkypeを使ってネット経由で議論に参加しましたが、元気でがんばっているようで、安心しました。
夜は、サレー大学のマックファデン教授宅で行なわれたバーベキューパーティに呼んで頂きました。イギリスのほか、フランス、デンマーク、ポーランド、イタリア、マレーシア、中国などからの参加者がいて、国際色豊かでした。3時間があっという間に過ぎ、サレー大学内の宿舎に帰って眠りについたのは12時を超えていました。
明日の土曜日まで研究打合せを行なって、日曜日に帰国の途につきます。

 

2014年7月25日

2014年7月25日

      シベリア上空を飛行中

イギリスにやって参りました。
羽田から約11時間のフライトでヒースロー空港に到着しました。

昨年の11月に来たときと空港のターミナルが変っていて、新しいターミナルになっていました。今日の宿は、空港から地下鉄で3駅のハウンズロー(Hounslow)のホテルです。ホテルについてから、森先生と近くのパブに出かけました。イギリスで は、このようなパブがあちこちにあり、オーダー毎にお金をカウンターで払うシステムになっていて、気軽にお酒と食事を楽しむことができます。私は、日本で も有名なギネスとこの地域のローカルビールを頂きました。

 

2014年7月24日

今日から7月28日までイギリスに行ってきます。ロンドン近郊のギルフォード市にあるサレー大学で大腸菌のグリコーゲン利用についての研究打合せをするためです。このギルフォード市の近くには、長州ファイブなどの日本人留学生を支援されたウィリアムソン夫妻が眠るブルックウッド墓地があり、本学の丸本前学長も昨年の7月にここを訪れています。私も、昨年の11月にサレー大学を訪問したときに、ここに行きましたが、残念ながらゲートが閉まっており、墓前まで行くことはできませんでした。
あと2時間足らずで出発です。私の乗る航空会社のロンドン便は、最近、成田発から羽田発になったので、とても便利になりました。共同研究をしている奈良先端科学技術大学の森教授との2人旅です。ロンドンに着きましたら状況報告を書きますので、よろしければ、またここを覗いて見て下さい。

それでは、行ってきます。

ホームページ

2014年7月14日

先週の土曜日の7月12日に、理学部後援会の役員会がありました。後援会は小中学校のPTAにあたるもので、理学部や大学院の活動を援助して頂いていて、保護者の方々にはとても感謝しています。
保護者と教職員から一人ずつ自己紹介が行なわれたのですが、日頃あまり保護者の方々と話す機会のない我々にとって、多くのためになる話がありました。一人暮らしを始めた子どもを気遣う声や、子どもが順調に単位を取っていて安心しているという話もありましたし、そうでないので心配という親御さんもおられましたが、総じて理学部の教育には満足されているようで、安堵するとともに、これからも学生達をしっかり教育して行こうという気持ちを新たにしました。私からは、予算削減の厳しいなかで大学改革の取組を進めていることなど、現在の大学が置かれている状況と理学部の現況を報告しました。

保護者の方々との情報交流を促進するため、今年度から後援会のホームページを作ることが決まりました。これからその準備作業に入ります。公開できるようになりましたら、またこのつぶやきでも報告します。

2014年6月30日

2014年6月30日

研究室で行なわれているEnglish circleの様子

外国の大学に行ってよく思うのは、教員だけでなく多くの学生が不自由なく英語を話すことです。欧米の大学はもちろんですが、アジアの大学でもそうです。日本はアジアでは(今のところ)誰もが認める先進国ですが、決して高いとはいえない英語のコミュニケーション能力でよくここまで発展してきたものだ、と不思議な気さえします。海外からの新しい生きた情報を得るには、英語の会話力、交渉力が必要だからです。
最近では、国もこの点を十分に認識していて、日本の大学のグローバル化を図ろうとしています。山口大学でも、平成27年度の設置を目指して、国際総合科学部の開設の作業が進められています。

理学部では、昨年度から学生の海外派遣プログラムを開始しました。年に5,6名程度というささやかなものですが、学生の応募も多く、関心の強さに感心させられました。5月28日に昨年度の派遣学生の報告会が行なわれましたが、外国に行くことで彼らがステップアップしたことが感じ取れました。今年度に派遣する学生も、海外の文化を知ることでで大きく成長して欲しいと思います。

写真は、私の研究室で行なわれている「English circle」です。アドリエン先生が音頭をとって、毎週行なわれています。私は参加していませんが、よい英語コミュニケーションの訓練となっているようです。研究室の大学院生達は、来週にタイで行なわれる国際学会で発表するため、7月1日から出かけます。一回り大きくなって帰ってくることでしょう。

 

学生海外派遣プログラムの報告ページ

2014年6月17日

先週の土曜日は、山口の菜香亭で大腸菌の細胞システムの研究会があり、日曜日はその参加者の方々に県内の幕末スポットを案内しました。1日で防府市~美東町~萩市を回るという、強行スケジュールでした。

今朝、研究室の横のドアを開けていたら、ツバメが入ってきました。最近、良くツバメが入ってくるな、と思っていましたが、もしやと思い、廊下を注意深くみてみると、藁のようなものが2本ばかり引っかかっている場所を見つけました。なんと、廊下にツバメが巣を作りかけていたのでした!
このままにしておいてツバメが巣を作るところを観察したい気持ちもありましたが、研究室の学生たちとも相談してしばらくの間はドアを閉めておくことにしました。、折角いい場所を見つけたツバメには申し訳ないですが、まだ作り始めたばかりの巣なので、きっとツバメも許してくれるでしょう。
ツバメの巣は学内のあちこちで見ますが、人を怖がらないですね。きっと、わざと人通りの多い場所を選んで巣をつくるのも、身を守る方法の一つなのでしょう。

 

2014年6月5日

私は山口市内の宮野というところに住んでいますが、週のうち3日は自転車で通勤するようにしています。自宅から大学まで約8kmありますので、自転車通勤をしていることを話すと、たいていの人は「えっ」と驚かれます。ですが、ほっておけばいろんな贅肉が付く歳ですので、少しは運動せねばと、もう7,8年続けています。


さすがに雨の日は車で通勤です。山口県は例年より早く6月2日に梅雨入りしたみたいで、今週はずっと雨の日が続いており、今日も降水確率は50%だったのですが、薄曇りでしたので、自転車で来ました。途中で2つ写真を撮りました。一つは、自宅の近くの三の宮付近、もう一つは大学の近くの椹野川です。
片道で40分ぐらいかかりますので、時間がもったいない気もしますが、景色をみながら自転車をこいでいるといいアイディアが浮かぶこともありますし、一旦職場を離れて仕事の内容を頭の中で整理するのに良くて、なかなか貴重な時間となっています。

ついでに載せているもう一枚の写真は昨日の私の授業の板書です。学生に説明しているときに、少しあやふやになってきたので、あとで確認しようと写真を撮りました。いまチェックしてみたら、これで合っていました。ちなみに、これは数の並べ替えをする計算方法のクイックソートです。来週、また学生にきちんと説明しようと思います。

2014年5月28日

先週は忙しい週でした。19日の月曜は合成生物学の研究集会が福岡市であり、20日の火曜は会議が4つ、21日の水曜は会議が2つに授業が2つ、22,23日は本学を世話校として開催された14大学理学部長会議が市内でありました。そして24日の土曜日には、恒例の理学部長杯争奪ソフトボール大会がありました。3つのイベントはどれも夜の宴会がセットだったので、頭も肝臓もフル回転で少々疲れました。

ソフトボール大会は、前田中理学部長のときに始められたもので、今回で3回目になります。身体が思うように動かず、歳を感じましたが、私が子どものころは、熱血スポ根漫画が全盛期で、小学校から帰るとすぐに毎日近くの公園に行き、ソフトボールをして遊んだものです。当時、巨人の星の大リーグボール2号が消える秘密が話題になっていて、そのからくりである保護色を確かめようと、白い煙と白いボールで実験して、目が痛くなったのを覚えています。

さて、今回の大会は2年ぶりに情報チームが優勝しました。私はこの情報科学分野の所属教員なのですが、今回は学部長として事務チームで参加しました。まったく想定外でしたが、我々事務チームは1,2回戦を勝ち進み、決勝で情報チームと対戦しました。彼らは私の教え子達ですが、そんなことは関係なくのびのびとプレーをし、結果は大差で我々事務チームの負けでした。
これからの研究テーマが決まりました。来年は、情報チームを負かすため、実験を重ねて新しい魔球を開発し、投手として活躍して優勝したいと思います ( 冗談です)

 

2014年5月12日

前回に書いたように、子どもの頃、防府に3年間住んでいましたが、小学4年生のとき、近所に、田中無線という電子部品のお店ができました。ものづくり大好き少年だった私は、そこの店に入り浸るようになりました。最初にゲルマニウムダイオードを使ったゲルマラジオを作り、次に真空管を3本使った3球ラジオを作りました。店主の方には随分迷惑をかけたと今になって反省していますが、これがきっかけで私はラジオ少年への道へ入り込みました。

下の左側の写真を見て下さい。真ん中でペンを持って何かを書いている人は、34年前の私です。山大工学部に入学してすぐに、ラジオ少年の私は、当時休部状態だったアマチュア無線部を仲間と一緒に復活させました。大学2年のとき、山口市と姉妹都市である、スペイン・パンプローナ市のアマチュア無線家が、山口市のアマチュア無線家と交信したがっていることを知り、市役所にいって「私たちがやります!」とその交信を買って出たのでした。
この写真は、相手が送信しているモールス符号を記録している場面です。丁度このころに、クラブ内誌を作ろうということになり、その第1号の表紙の写真としてこれが選ばれたのでした。この交信を行なった場所は、今はもう改築で無くなりましたが、理学部4階にあった大講義室の後ろの窓際でした。

今度は、下の右側の写真を見て下さい。これは、パンプローナ市の郊外にあるサビエル城の前で取ったものです。私はいま、大腸菌の細胞シミュレーションの研究をしていますが、大腸菌の研究で活発なグループが、偶然、パンプローナ市にある大学にいて、2010年にその研究室を訪れたときに連れて行ってもらったときのものです。まさかこのような形でパンプローナを訪れる機会が来るとは思ってもみませんでした。市の中心部に山口公園があるからだと思いますが、パンプローナの人たちの殆どが「YAMAGUCHI」を知っていて、驚きました。いつになるか分りませんが、次回は、仕事ではなくて、ゆっくりと訪れてみたいと思っています。

 

2014年4月28日

先週に引き続いて、幕末歴史ものの話から始めます。来年のNHK大河ドラマは「花燃ゆ」で、吉田松陰の妹の文(ふみ)が主人公です。文は松下村塾門下生の久坂玄瑞と結婚しますが、彼が蛤御門の変で命を落とした後に、楫取素彦(かとりもとひこ)と結婚します。

久坂玄瑞は幕末に活躍した志士として有名ですが、楫取素彦のことは全く知りませんでしたので、少し調べてみました。彼の旧名は小田村伊之助で、幕末から維新にかけて活躍したのちに楫取素彦と改名し、熊谷県令や群馬県令となります。世界遺産に登録される見通しとなった、富岡製糸場の発展にも力を注いだそうです。
先週の土曜日に、楫取素彦と美和子の墓がある防府市の大楽寺を訪れて見ました。大楽寺は、桑山のふもと、防府高校の近くにあります。私も防府市には小学生のときに3年間ほど住んでいたことがあって、よく遊んだ場所がこのあたりでした。このお寺は、防府高校出身で作家の伊集院靜氏の妻であった、女優の夏目雅子さんのお墓があることでも有名です。楫取素彦と美和子(文から改名)のお墓はここから少し離れた別の墓地にあります。来年は多くの人がここを訪れることでしょう。
楫取素彦が撰文した碑があると知り、防府市立華浦小学校を訪れてみました。私はこの小学校に4年生から6年生まで通っていました。華浦小学校の源流は、河野養哲が開いた私塾である越氏塾にあります。越氏塾は、萩明倫館よりも30数年も前にできたそうですが、1860年に山口講習堂とともに萩明倫館の直轄となります。つまり、越氏塾と山口講習堂とは兄弟校ということになります。小学校と大学、と大きな違いがありますが、越氏塾の流れを汲む華浦小学校を卒業し、山口講習堂から発展してきた山口大学に勤めていることに、私ごとですが、不思議な繋がりを感じています。
華浦小学校には、私が4年生のときにできた健脚山が残っていました。当時から古かった講堂はさすがに無くなっていましたが、礎石が記念碑とともに残されていて、懐かしく思いました。

 

 

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2014年4月19日

昨年度から共通教育で「山口と世界」の授業が始まりました。山口市はその歴史の中で2回ほど目立った時期があって、一つは約500年前の大内文化の頃、もう一つは150年前の幕末から明治維新にかけての頃で、どちらも世界とのつながりがあったことがその繁栄と成功の大きな要因でした。この授業を担当することになったので、最近、幕末の歴史の勉強を始め、なかば趣味のようになっています。

4月19日の土曜日に、大学のある平川地区の幕末スポットである、「隊中様」に行ってきました。西京高校の裏あたりから山口市南部の鋳銭司に抜ける山道の途中に隊中様があります。結構険しい山道ですが、これは幕末に活躍した大村益次郎が鋳銭司から通った道でもあります。
幕末に活躍した長州藩の隊として奇兵隊が有名ですが、長州藩には他にも同じ様な隊が沢山ありました。戊辰戦争が終わるとこれらの諸隊の役目も終わり、一部の隊員は長州藩の正規軍に入りますが、他の多くの隊員は任を解かれ、仕事を失ってしまいました。これらの人たちが反乱を起こしますが、木戸孝允らに鎮圧されてしまいます。
その鎮圧されて命を落とした者の中に、軍医の藤山佐熊(すけくま)という人がいました。彼は、いま隊中様の碑がある山奥に居たときに、近くの村人の病気を診てあげたりして尊敬されていたそうで、今でも毎年4月に近くの住民の人が供養祭をしています。

さて、山口大学の起源である山口講堂は1815年に開設されました。1863年に20歳台で渡英した長州ファイブの例にあるように、幕末から明治維新にかけて長州藩の若者が活躍しましたが、この開設時期のタイミングから、この中には山口講堂で学んだ者が多くいたことが伺い知れます。藤山佐熊のように、決して目立たないけれども、大切な役割をした人も沢山いることでしょう。
そう考えると、来年迎える山口大学の創基200周年も、あながち大げさなものでも無いように思えてきました。1年後には盛大にお祝いできるように、これからムードをもっと盛り上げていかなくては、と感じています。

2014年4月10日

学部長の仕事を初めて10日が経ちました。部屋や書類の整理、オリエンテーションなど、慌ただしい日々でしたが、やっと少し落ち着いてきました。記念すべき第1回のつぶやきとして、この3月に博士後期課程を修了した学生のことを書きたいと思います。
4年前のある日、シンガポールに住んでいる田忠原さんからメールが届きました。「自分はネットワークのエンジニアで、奥さんは生物の研究所に勤めている。奥さんと離れたくないので、彼女が職場を変わるたびに、自分はついて行き、会社も2度辞めたが、もう限界だ。自分が生物学を勉強して、彼女と一緒に働くしかない。」という内容でした。
インターネットで生命情報科学の研究者を検索し、私のことを知ったようです。その後、彼は山口大学の博士課程に入学し、この3月にめでたく博士(理学)の学位を取得して、大学を去っていきました。体と声の大きい「オッサン」ですので、山大には彼をご存知の人も多いと思います。いま彼は、アメリカのある研究所で奥さんと一緒に働いています。
田さんは、人生を変えるという大きな決断をしたわけですが、目標をもって努力すれば夢は叶う、ということを私たちに教えてくれました。彼と奥さんの共同研究が実を結んで、世界が驚くような成果を上げて欲しいと思います。私の夢が一つ増えました。

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